私は、1968年東京都に父や父の叔父や従兄弟も皆歯科医師という歯医者家系に生まれました。

歯医者の子供として育ち、周囲の人は当然のように将来は父の跡を継ぎ、歯科医師になるものと思っていたようです。しかしながら、当の本人の私はそうではなかったです。歯科医師になりたいとか、医療者になりたいという夢や将来像はなかったのです。高校の時の進路相談でも歯科医師になりたくないと思っていたくらいで、どう進路を決めたらいいものか悩んでいました。自分のやりたいことを見つけ、将来を見据えている友達がうらやましかったです

ただ大学に入ることだけがやるべきことのようにしか思えてならず、何のために将来生きていくのか先が全く見えなかったです。それまでは勉強さえしていれば良かった、学校に行っていれば良かった。社会や親や大人が敷いた線路の上を進んでいれば良かったのが、自ら進む先を決めなくてはならなくなった訳で、先行きの見えない不安がただ暗雲として目の前に立ち込めている、そんな感じでした。

コレぞという将来への道もないまま、仕事として歯科医師になる以外の選択肢が思い浮かばなかったまま、父や親類の後押しも有り、惰性でなすがまま何となく歯科医師への道を目指す結果となったのです。歯科大学在学中は初めは楽でした。以前と同様勉強に勤しんでいれば良いのですから。しかし、それも卒業が見えてくるとまたしても将来を考えなくてはならなくなってきます。

してからどういう歯科医師になりたいか、自分のやりたいことや何の専門分野に進みたいかなど、ここでもやはり将来像のイメージはなかったです。当時付き合っていた彼女がいたのですが、彼女は卒業後には実家の北海道に戻り、父親がいる北大病院に勤めるとのことでした。なので彼女と一緒に北大病院に勤めるか、母校である東京の日本歯科大学附属病院に残るか今思えばそんな他愛も無いことに悩む歯学生でした。結局、部の先輩が居て、在学中にインスピレーションを受けた補綴治療(歯が欠けたり、失われた場合に行う詰め物・差し歯・被せ物や入れ歯などの人工物で補う治療のこと)に興味が多少なりあったので東京の母校の病院に勤めることになりました。


大学病院に勤め、補綴の師匠らの元で技術と知識を5年間積み重ねましたをしたいかは歯医者になっても見つからなかったです

普通に毎日治療に邁進する歯科医師

大学卒後の歯医者としてのイメージもなく、在学中にインスピレーションをうけた補綴に興味

大学病院に勤め、補綴の師匠らの元で技術と知識を5年間積み重ねました

それでもやはり自分のなすべき道が見えない、何をするのが良いのか?しっくりこない毎日を過ごしていました

運動も苦手、勉強は中の上、何の成功体験もなく、目立つこともなく、普通の人

周りからも男と見られるよりも中性的な存在、単なる良い人的な存在

リーダーでもなく、ヒーローにもなれない、自分への自信はありませんでした

大学時代に付き合っていた彼女に「男なのに何か野望とかないわけ?」と言われたこともあります